昨年のちょうどこの時期に、棘の庭は大手術をして、いまちょうど1年がたとうとしています。

水はけが悪く、苦しがっていた植物たちを救うべく、地面に水を通すパイプを張り巡らせ、
丘に盛ったところから流れた水が井戸へと流れ、それが排水と散水用の蛇口とに分かれるようなハイテクなシステムが棘の庭には隠されています。

そうして、植物たちの生きていける環境を整えて、そして、私のすることといえば・・・

「見守ること」

庭師の酒井さんには、微生物たちが深く深く土を掘り起こし、豊かな土壌へと生まれ変わるまでは10年というスパンでみていかなくちゃいけないといわれています。

あくまで自然のバランスの中で豊かに豊かに。
それをちょっと手助けする。

この一年、毎日井戸にたまった水を抜くことと。
そして、落ち葉を敷き詰めることで落ち葉の微生物を土に養っていくことと。

大きくガーデンデザインのプランを立てて一気に何かを植えるということはせず、
誰かのご縁でいただいたもの、
素敵な場所で株を分けてもらったもの、
そんなものをそっと仲間に加えていったくらいです。

ここの土地が気に入って、生きていけると思えば生きていくだろうし、
気に入らなければ消えてしまう。
それをそっと見守ること。
その楽しみ。

その楽しみは、自分のものではない野山を散策しながら、植物たちの移り変わりを愛でているのに似ています。

芽が出たものを、何だろうと楽しみにその成長を追い、小さな花の可憐さに心を寄せ、
そして、去って行ったものを寂しがる。

それは私が植えたものもであっても、雑草と呼ばれるものであっても、先代が植えていったものであっても。
歴史の中に今ある美しさをただただ味わうというもの。



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ここは決して私のフィールドではなく、
彼らのフィールド。



昔の大名屋敷のお庭では、富士山や琵琶湖や、日本の名所を枯山水で再現をして、ぐるりと廻ることで日本一周の旅を味わえるようにできたものや、
はたまたイングリッシュガーデンに憧れて、ローズのトンネルや、様々な花が咲き乱れるお庭を作ったり、

庭というものは、都市に住む者の不便さ息苦しさを癒すための何かしらの目的があって作られるものだと思います。

棘のお庭は「野山への想い」。

芽吹き、花をつけ、夏の日差しに少し弱り、そして、葉を落として冬に備える・・・
その、何も無理のない、ただそこにある自然の移り変わり、
それを感じていたい。
そんなことを想っています。

私も野山と共に生きたい。
けれど、
それが叶わないことは致し方ないこと。

そして、すべてのひとに野山は必要で、
致し方なくそれが叶わない都市生活者のためにも、
棘と棘のお庭の存在が必要だと信じています。

なにかがその意味を現すのは、きっと短いスパンでは何も図れなくて、10年20年、
取り組んできたことに何かしらのことが姿を現し始める。
私がお庭に触れていて思うこと。

目に見える成果を求めて早急に何かを施すのは簡単だけれど、
自然の流れの中で、生き物たちの力を信頼して、
大地のために、人のためにコツコツと仕事をしていく、
大地や人のために正しい仕事は、必ずやその先へとつながっていくと信じて。



いま、夜になって雨の足が強まってきています。


たっぷりの水を受けて、明日の朝、棘のお庭はさぞなにかを発することでしょう。
それを楽しみに。




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